飛べない蝶




Q.クリスチャンになると立派な人になれますか?

A. クリスチャンとして立派な人もいれば、そうでない人もいます。私もクリスチャン暦30年以上ですが、その割りに立派だと誉められる事は少ないのです。国内外の牧師や宣教師から1万回以上もの説教を聞いてきたにもかかわらず、原因はどうやら誤った聖書解釈と信仰の捉え方に問題があったようで…。20年以上もグルグルと同じ場所を歩き回っていたのだと思います。ごく最近 になってようやく進歩が見られるようになったのですが、成熟への道はまだまだ遠いですね。                                                           ところで人は何をもって立派というのでしょう?家柄?学歴?立場?成 功?奉仕?努力?信念?品性?礼儀作法でしょうか?

 クリスチャンになるという事は、単に良い人間になる事ではありません。良い人間は巷に溢れています。実はクリスチャンとは、古き自分に死に、新しく生まれ変わった別人になるということです。今までの生活基準とは全く異なる、神を意識し、愛する生き方、人生(命)の乗換えなのです。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。(ガラテヤ2:20) 

 立派な人になれるかどうかはあなた次第というところでしょうか。といっても私達の努力や修練によって品性を磨くのではありません。なぜなら神の賞賛は人間が考える以上に、遥か高い基準を要求するからです。誰もがその清さに自力で到達する事は出来ないでしょう。神はパフォーマンスだけではなく、心の奥底にある動機まで探られるお方ですから。

 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ5:14−16)

 昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。(マタイ5:21,22)

  『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。(マタイ5:27,28)

 『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。5:41 あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。(マタイ5:38−48)

 さて、人間は霊・魂・体を持っています。体は五感によって物質世界を感じる機能を備えています。魂は知性・感情・意志を備え精神世界を司ります。さて、霊はというと…これは神様を感じるためのものなのです。クリスチャンになったらこの霊の部分で確実に変化が起こる。聖書は新しく生まれるとか、神の子になると説明しています。ところが霊的な変化を経験したはずなのに、認識が追いつかず、まだ目覚めていないクリスチャンもいるわけです。それはイモムシからチョウに変態したはずなのに「私は飛べないの。飛んだことがないから…」と言っているのと同じです。この飛べないチョウ(チョウには違いありませんが…)には筋肉トレーニングとかリハビリは必要ありません。必要なのは「私はイモムシではなくチョウなのよ!」という思いの一新です。心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ12:2)

 聖書はあなた自身について何と言っているでしょう?あなたのアイデンティティーがあなたの態度となり、生活習慣となります。あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。(エペソ5:8)

 クリスチャンの成長とは神を深く知っていく事に伴う変化なのです。