さわらぬ神の祟り




Q.さわらぬ神に祟りなしっていうけれど、宗教に関わるのははっきり言ってごめんです。

A. 「十戒」(1957年)や「プリンス・オブ・エジプト」(1998年)という映画をご存知ですか?偉大な指導者モーセが同胞のヘブル人をエジプトから脱出させるストーリーです。ハイライトは奇跡によって真っ二つに分かれた紅海の真ん中を歩いて横断するシーン。「圧倒的な神の力と情熱が、罪の故に我々をも呑み込みはしないだろうか?」 その偉大な人モーセでさえも神の凄まじさを恐れました。
 手でさわれる山、燃える火、黒雲、暗やみ、あらし、ラッパの響き、ことばのとどろき…。その光景があまり恐ろしかったので、「私は恐れて、震える。」とモーセは言いました。(ヘブル12:18−21)
 荒野のシナイ山での神様の出現はまさに、「さわらぬ神に祟りなし」という表現がピッタリです。しかしながらもう一つの山で現れる神はまるで別人のように見えます。
 シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会(ヘブル12:22)
 なんだか人々は賑やかで楽しそうですね。                                                                        ところで電気というのはとても便利でありがたいですね。現代では日常生活に欠かせない大きな助けです。でも扱い方を誤ると大事故にもつながります。特に発電所での仕事は大変危険だと思います。だから関係者以外立ち入り禁止。シナイ山というのはまるで高圧電気ビリビリの発電所のような所で、モーセとイスラエル人男性以外は立ち入り禁止!迂闊に触れてはいけない。
 これに対してシオンの山は電気の恵みで賑わう都市のよう。そして、この二つの場所を結ぶのが絶縁ケーブルの役目を果たすイエス・キリストです。イエス・キリストを通して、神の力は安全に供給される恵みと祝福になりました。今や神様と親しくなれる時代。マニュアル(聖書)をよく読んで、時代遅れにならないで。